萬古焼きの土鍋


3/20(日)
四日市の萬古の里会館にて
カホリさんが料理教室をします!



写真の土鍋は萬古焼きのものです。


最近はずっと、月の庭の五穀米ごはんは萬古焼きの土鍋を使って炊いています。
(玄米は圧力鍋です。)
この土鍋、ずっしりと厚みがあって重たくて、持ち運んで準備をするのに一苦労。


片手でヒョイ、
なんてとんでもなく
腰を入れて両手で抱えヨイショ、ウンショ、と運びます。
1つ1つの動作に、重みと責任(落として割らないように・・・)がついてまわります。
まあ大げさですが、でも大げさ過ぎず、本当に一仕事なんです。

この土鍋でごはんの支度をしながら思い出したのは、
石垣りん さんの詩。
「私のまえにある 鍋とお釜と燃える火と」
私、この詩が好きなんです。





「私の前にある 鍋とお釜と燃える火と」


それはながい間
私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、


(適度に省略します)
・・・劫初から受け継がれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。


その人たちは
どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、


・・・台所ではいつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意の前にはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。


ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など
繰り返せたろう?


・・・炊事が奇しくもわけられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、


・・・私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と
・・・(省略)

という詩。
全文を読むとまた印象が違いますが、都合よく摘まんでいます。




最近、土鍋を抱え思います。
脈々とつながれてきた私たち。
いつも、そのいのちのつながりの前にあった燃える火を。
食べてくれる人がいて、
食べてくれる人のためにその火の前にたつ。
なんてありがたく、なんて尊い一仕事。
手間はかかるけれど、重たい土鍋でごはんを炊くことは
軽く扱うな、と戒められたようで
ひとつひとつの支度がことさら丁寧になるのです。

そして、決して「ピピーピピーピピー」と鳴って
知らせてくれなどしない
“湯気”という静かな合図を見逃すまいと
気にかけ気にかけ過ごすのです。

そんな風にして炊いている五穀米ごはん。
なかなか美味しいです。
気にかけ気にかけしていても、
しっかりおコゲができてしまうのですが・・・。
でも美味しいです。

土鍋には
たべる や つくる を思わせる そんな役目もあるみたい。


萬古焼き という器物 × カホリさんの料理教室
見逃せませんよ。
お時間ありましたら、
ぜひ足を運んでみて下さい。


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